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  • 執筆者の写真ぎん

2021.07.01 今と昔と自己紹介の話。

更新日:2021年7月10日

焼津市地域おこし協力隊。

どうも、ぎんちゃんです。


僕は今、静岡県焼津市で"地域おこし協力隊"という仕事をしています。

この仕事も今日で丸1年です。

(がんばれ自分。笑)


地域おこし協力隊って言われても

「なんだそりゃ?」

って思う人も多いんじゃないかな?


簡単に言うと"焼津を盛り上げてよう!"的な仕事です。


1年半くらいブログ更新してなかったし、自己紹介しながら今回はそんな地域おこし協力隊にどうしてなったのか、みたいなお話をしていきまっす!


ちょっと長くなっちゃうけど、最後まで見てもらえたら嬉しいです。


 



1993年5月に静岡県焼津市で生まれてから24年間は地元焼津で過ごしました。

(左が僕。可愛いでしょ?)


小中高はサッカー漬けの日々で

毎日毎日公園で裸足でサッカーしたり

オーストラリアまで遠征に行ったり

家の中でボール蹴ってて怒られまくったり。笑

(キーパーの横にいるのが僕。)



そんな生活も高校までで、大学では浜松大学(現・常葉大学)に進学。 何を思ったのか保育士資格を獲得するべく、こども健康学科という科を主席で卒業。(嘘)


そう、保育士資格と幼稚園教諭の資格持ちでございます。


"大きなカブ"の劇では、原作に存在しないゴリラ役という大役を任されるほどの演技力で、演劇チームを引っ張っていったのであります。(大嘘)


まぁそんなこんなで、こどもと関わる仕事をしていきたいと考える中"幼児体育指導員"という仕事に出会うんですよ。


いわゆる、体操の先生です。


そして、大学を卒業後…










無事に!!!!!体操の先生に!!!!

なることができました!!!!

そう!!!

夢が叶った!!!!!!!

やったーーーーー!!!!!!



って思って1年間必死に働いた結果…










"重度うつ病"



って医師から診断を受けました…


おかしい…

自分の好きな仕事をしていたはずなのに…

夢を叶えたはずなのに……

おかしい……


何をするのにもやる気が出なくて、ずっと部屋のベッドから動かない生活。

20分寝て目が覚めての繰り返し。

全く何も食べれず、体重も2週間で10キロ減。


そんな時に出会ったのがネパールの孤児院で35人のパパをやってる

環境活動家の竹中俊くん。


(抱っこしてるのは商店街によくいる仲良しのちびっ子。笑)


僕の人生を語るのに、彼抜きには語れない。笑

(語ると長くなるから割愛。)


そんな俊くんの

『人生やってみればなんとかなるよ』

という言葉に後押しされて、当時の僕は東日本大震災の被災地を自分の目で見たいと思い…






ヒッチハイクで宮城まで行くのであった。


しかも、無一文で。笑

今考えるとアホだな〜と思うけど、

当時の僕は本気で今後の人生をどうしたらいいか分からなくて、

「とにかく被災地を自分の目で見よう」そう思ったんです。


道中、本当にたくさんの方に助けられながら、

静岡県→宮城県気仙沼市までをヒッチハイクのみで移動。

本当にいろんな方々と出会いました。


仙台から気仙沼までで乗せてくれた、大学生の息子のいるお母さん。

当時、震災から6年が経っていて、建物なんかはほとんど新しくなってたので

「東北はもう復興したんですか?」って聞いた。

そのお母さんは『復興って何なんですかね?』って答えて続けた。


『私は運良く生きてるけれど、家は流されたし、友達やご近所さんはたくさん亡くなった。復興って何なんですかね?』


僕はこの言葉を聞いた時に、助手席で泣いた。

人は生きてることが当たり前じゃないんだって、そう思った。


そんな出会いに助けられて、僕は気仙沼でゲストハウスに宿泊。



(写真はゲストハウスの壁塗りの手伝いした時。)


“気仙沼ゲストハウス架け橋”が僕の人生初のゲストハウス。

震災を機にゲストハウスを立ち上げて、災害ボランティアさんの受け入れをしていたんだとか。すごい。


架け橋では、日本一周中のライダーさんとスタッフの方々といろんなお話をして、

初めましてだから話せることがたくさんあった。

ゲストハウスに泊まった僕は自分の心がすごく救われた気がして、自分もゲストハウスをやりたいと考えるようになるんです。


それから少し経った2017年7月に九州北部豪雨が発生して、

自分に何ができるんだろうと考えた結果、福岡県朝倉市の災害ボランティアへ行くことに。



朝倉市杷木地区では、行方不明者が見つかっていない状況で警察犬や救助隊が最前線で救助活動を行なってた。


そんな場所での災害ボランティア。

生々しい現場を目にして“生きること”を本気で考えさせられた。


この経験は一生忘れないんだと思う。


その時に泊まった“ゲストハウス阿蘇び心”。

僕はその後、約2年このゲストハウスで働くことになります。



“阿蘇び心”の姉妹店“B&C Gakubuchi”では“けん玉”に出会って異国の人たちともたくさん交流したし“幸せになる方法”を学んだ気がします。


阿蘇び心熊本店では、店長としてひとつの宿を任せてもらい試行錯誤しながらもゲストハウス経営のスキルを身につけました。


(ゲストさん達とたこ焼きパーティーの様子)


年間で約2000人の人と関わって、みんなと笑顔で過ごすっていう物凄い経験をさせてもらえました!

日本全国、至る所に仲間ができたし、世界中様々な国に友達ができて、僕の一生の財産です!!(今日もドイツ人から連絡きた。笑)

新型コロナウイルスで旅行もままならない時代だけど、収まったらみんなに会いに行きたいな〜!


まぁそんな感じの九州生活も終えて、地元焼津に帰ってくるわけです。


そのタイミングで






地域おこし協力隊になりました!


焼津が好きで、焼津で生きていこうと本気で思い、

“今の僕”にできることを考えての選択。


協力隊として活動していくことで、もっと深く焼津について学びながら

いろんな人たちと繋がりを作っていきたいという想いから、協力隊になることを決めました。


(写真は商店街で石ちゃんとけん玉した時!)


九州で出会った“けん玉”を焼津でも続けていた僕はテレビやラジオといったメディアや、イベントにも出演する機会が増えてきて「けん玉の人だ!」って声をかけてくれる人も少しずつ現れ始めました。笑


そんな協力隊での生活も1年が経ち、今日から2年目。


実際に、僕と関わったことで焼津に移住を決めてくれた方もいて「誰かの人生のきっかけ」になれるこの仕事は、本当にありがたい仕事だと感じます。


そんな僕を応援してくれている人がいるおかげで、僕は今とっても幸せです!


自分の好きなまちで、自分の好きなことができている僕は

本当に幸せ者だな〜と思います。


協力隊のとしての活動期間は残り2年。

残された時間を大切に、これからも焼津でいろんな人に笑顔を届けられるよう活動していきます!




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